『もうひとりの息子』レビュー/紛争地域へのかすかな希望

息子がデイキャンプに出かけていった日、夫と一緒に、『もうひとりの息子』という映画を観にいってきた。
イスラエルとパレスチナの紛争のさなかで起きた赤子の取り違えが、18年後に発覚し、2つの異なる文化圏の家族が交差するというストーリー。
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赤子の取り違え問題だけでも重い話なのに、舞台がパレスチナということで、信仰や言語や価値観の違い、なにより「自分はどちら側なのだ?」というアイデンティティの問題が発生する。

18年間育てたわが子が実の子ではなかった、という事実は衝撃だけれど、母親という同じ立場から、理解を深めていくふたりの女親。それに対して、ふたりの父親と兄は、事実をなかなか受け入れることができず、家族の交流の場でも頑なな態度をとってしまう。このあたりの女親と男親の違いも印象的。
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しかし本作では、親の意思がどうであれ、取り違えられた当の本人たちが、自分の意思をはっきり伝えられる年齢(18歳)だったのが吉と出たような気がする。特に、2人とも比較的リベラルな価値観をもっており、対立相手への憎しみに囚われていないのが救いだった。アウェーの地で、歌を披露しコミュニケーションをはかるシーンなどは、こうやって徐々にお互いが理解しあっていくのだなあと、心が震えた。

家族それぞれの苦悩も丁寧に描かれ、血も育ちも受け入れて現実を乗り越えようとする若者の力に、憎しみの連鎖に終止符を打つような希望を感じ、パレスチナ問題の希望を見た。
もしかしたら、若い世代には、パレスチナ問題にみられる旧習を打破するパワーがあるのではないか、と期待するのは都合が良すぎるだろうか。それでも、憎しみや相手に対する理解のなさは、置かれた環境や受けた教育によるものなのだと感じ、改めて教育の重要さを認識した。
夫婦で一緒に観ることができてよかったなと思う作品だった。
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本作も、週末に観た「秋のソナタ」も、母親という当事者になったからこそ刺さるシーンがいくつかあった。(親じゃないと良さが分からない、ということが言いたいわけではなく、念のため)

今は「親」というキーワードに敏感に反応するけれど、たぶん次の10年~20年で気になっていくのは、「老い」を描いた作品かなと個人的には思う。例えば、ヴィスコンティが老いと世代交代を描いた「山猫」や「ベニスに死す」なども、20代で観てもすばらしいと思ったけれど、実はまだ表層的な部分しかつかめていなくて、もっと年をとってから観ると、当事者として違う視点で深くめられるかもしれない。映画だけに限った話ではなく、文学でも音楽でもね。
by chatelaine | 2013-10-27 23:58 | CINEMA

欧州大好き、映画や舞台の偏向的レビューブログ。子連れになってリスタート。最近はもっぱら子連れ旅がメイン。


by yukiko
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