『松井冬子展 ~世界中の子と友達になれる』レビュー

数年前に、森美術館で『無傷の標本』という作品をみてから、ずっと気になっていた日本画家・松井冬子。満を持して、横浜美術館で開催された『松井冬子展 ~世界中の子と友達になれる』の最終日に行ってきた。

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松井作品は幽霊や内臓が露出した人間の作品が多く、どうしても見た目のインパクトがグロいので、「怖い~!オバケ~!」と騒がれるのを避けるため、今回は2歳の息子にはご遠慮いただき、近場のパンパシフィック横浜の託児へ。

で、ひとりでゆっくり観た結果、かなり好みの画家だということがわかった。今年に入ってから行った、フェルメール展オトニエル展も、さわやかですがすがしい後味なんだけど、わたしは断然こっちのドロドロ感の方が好み。趣味が悪いといわれようと、人間の暗部が好きなんだから仕方がない。特に女性性にまつわる描写に関しては、もうどんぴしゃ好み。

<お気に入り作品>
■『体の捨て場所』
・・・なんという恍惚の表情。この女性の浮かべる不思議な笑みは、松井冬子氏が美術の道を進むきっかけとなったモナ・リザのようだ。

■『この疾患を治癒させるために破壊する』
・・・千鳥ヶ淵の桜の絵。本来、桜のもつ狂気が見事に描かれている。

■『喪の寄り道』
「喪が仕上がらない様子を描いた。大切な人が取り返しもつかず失われたと知っているのに、それを再発見しようとする。失うという脅威は、過酷な自己愛に閉じ込める。極限的な孤立から、後追い自殺のように同調しようとしても、喪の苦痛は転換されない。」(キャプションより)
・・・ふと、子どものころに好きだった『悪魔(デイモス)の花嫁』というマンガを思い出した。人間の弱さや醜さ、破滅や喪失を描いた作品で、この絵はまるでその世界観を体現する作品だなあと。

こんな具合に、作品のタイトルもさることながら、ついているキャプションが意味深長で、哲学的ですらある。うーん、京極夏彦氏と死生観について対談してほしいところ。


<タイトルだけで萌える>
■『優しくされているという証拠をなるべく長時間にわたって要求する』
・・・生まれてすぐの赤子のことを描いた作品。冬子女史にかかると新生児もこんな表現に。

■『絶え間なく断片の衝突は失敗する』
・・・意味はよくわからなくてもなんだか哲学的というだけで惹かれるタイトル。

■『引き起こされた不足あるいは過剰』
・・・過不足って狂気だよなと感じたことは、ある。

もう、こういうタイトルを深読みするのが大好きなわたしは、興奮のあまり図録を即決で購入したものの、図録にキャプションが載っていなくて非常に残念…。託児の都合で美術館には2時間弱しかいられず、説明を隅々まで読むことはできなかったので、自宅でゆっくり堪能しようと思ったのだが。
ただ、一緒に購入した『美術手帖』には一部載っていた。これはもう、わたしの本棚の永久保存版。

美術手帖 2012年 02月号

美術出版社

保存版です!

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ちなみに、横浜美術館では、「子どものアトリエ」という子ども向けのワークショップが充実していて、2~3歳の未就園児であれば、「親子のアトリエ」という親子で楽しむ造形コーナーがある。どうせ横浜まで行くなら参加してみようと目論んでいたのだけれど、朝寝坊のわたしにとって、朝10時にみなとみらいというのは非常にハードルが高く、今回もワークショップが終了した11時半ごろに到着というありさま。

次に横浜美術館に来る機会があったら、近隣のホテルに一泊しようかなと。前日はみなとみらいで遊んで、中華街でごはんを食べて、翌日は朝イチで美術館、なんていうプチ旅行を企画したいな。

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「痛覚は、われわれの身体的共感を持ち、直観的なるものを暗示している。その痛覚をアウフヘーベンし、美術として飛躍されられると私は信じている」(『松井冬子展』図録より抜粋)

「自分が壊れるかもしれないという、死に近い状態で、生きるためのエネルギーが放出されている瞬間、その禍々しさに魅力を感じます」(『美術手帖』2012年2月号より)

「狂いそうで狂わない。絵もそうであってほしいし、美術はそうあるべきかなと思います」(『美術の窓』2005年7月号より)
by chatelaine | 2012-03-18 23:17 | ART

欧州大好き、映画や舞台の偏向的レビューブログ。子連れになってリスタート。最近はもっぱら子連れ旅がメイン。


by yukiko
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