『ミラノ、愛に生きる』レビュー

ヴィスコンティのような映像美、という触れ込みが気になって、『ミラノ、愛に生きる』を劇場で観てきた。

舞台はミラノの富豪一族。もはや「ミラノ」というだけで、そこはかとなくヴィスコンティを感じてしまうわたし。ポスターの重厚さにもテンションが上がり、登場人物の名前まで、『山猫』でアラン・ドロンが演じた役名「タンクレディ」と同じなので、これってオマージュなのかしらと妄想も膨らむが・・・。

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主人公はロシア出身だが、ミラノで繊維会社を営む名家・レッキ家に嫁いでからは、ミラノに馴染むこと、一族に溶け込むことだけを考えて、自分の意思を押し殺してきた生活してきたエンマ。
たくさんの使用人を使って大きな家を切り盛りをする姿は、もうすっかり慣れたようでもあり、一方でどこか所在なさげでもある。

エンマの3人の子どもたちはそれぞれ独立する年齢にきているが、長男のエドアルトだけ、なぜかロシア語が話せるのは、赤ちゃんのころにエンマがロシア語で話しかけていたせいだろうか?そんなシーンがあるわけではないが、同じ母として、言葉も通じぬ異国の地で、産後の孤独に耐えようとするエンマの姿が目に浮かぶ。

そんな、家族の中でエンマの一番の理解者であるエドアルト。エンマは、彼の親友のシェフの料理を食べたのをきっかけに、官能をおぼえ、とまどいながらも愛を感じる。
さらに、「私はレズビアン」と、自分に正直に生きる娘にも感化されたのだろう。抑圧された心を解き放つかのように、息子の親友と情を通じてしまう。またこのシーンの描写が古臭いけども美しいのだ。
が、不倫によって身も心も自由を謳歌するエンマへの代償は、あまりにも大きかった。わたしなら、耐えられないほどに。

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さて、確かにレッキ家の晩餐会のシーンは華麗だが、それでもやはりヴィスコンティ作品とは種類が違う、というのが私見。繊維会社は売却し、家族はバラバラに、という斜陽ストーリーのわりには、退廃という雰囲気がないのが原因か。

しかし、ミラノの窮屈な家(物理的にはお屋敷なのだが)と、サンレモの自然のひろがりの対比がすばらしく、自然の中で解き放たれて自由にふるまうエンマは、とても魅力的に映し出されている。昔、劇場で観た、『レディ・チャタレー』の映像を思い出すくらいに。


そして注目の「タンクレディ」だが、エンマの夫である彼は、あまり主張のない役ながらに、裏切った妻に対し、「きみはもう存在しない」と決定的な拒絶を下す。タンクレディの性格が出るシーンはあまりなかったけれども、都合の悪いものは「存在しない」とみなすタイプの人間なのね、という印象。

最後に次男。彼にはビジネスのセンスはあるようだが、いかんせん影が薄く、作品のポスターにすら登場しない。・・・次男、いらなかったんじゃないかな・・・。
by chatelaine | 2012-01-31 23:18 | CINEMA

欧州大好き、映画や舞台の偏向的レビューブログ。子連れになってリスタート。最近はもっぱら子連れ旅がメイン。


by yukiko
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