『ヒトラー ~最期の12日間~』レビュー/組織の狂気

渋谷のシネマライズで、並びに並んで、『ヒトラー ~最期の12日間~』を観てきました。先月のドイツ映画祭にも出品されていた本作は、ヒトラーの秘書の証言をもとに描かれた、かなりの「問題作」です。

どれくらい「問題」であるのかというと、普通はいいことばかり書く、宣伝用のチラシとパンフレットに掲載される、各国の新聞の映画評を見てみると。

「戦後初めてヒトラーを注視した映画。実に力のある映画だ」
「ドイツはユダヤ人大虐殺の歴史を取り繕い美化している」
「切に忘れたい事実を強烈に映し出す偉業は誰にでもできるものではない。すばらしい」
「殺人鬼の人間性を振り返る必要など、どこにあるのだろうか」

こんな感じで、まさに賛否両論。まぁ、逆にこの方が、観たいと思わせる効果があるのかもしれませんが。

それにしても、ヒトラーを演じたブルーノ・ガンツ。ヒトラー役を受けたというだけで、『パッション』でイエスを演じたジム・カヴィーゼル並みに度胸のある人だなと思っていたら、なりきり度もすごい!
私たちって、写真や映像でヒトラー本人の顔を一度は見たことがあるし、違和感あるんじゃないかなぁと思っていたんですけど。まったくない。


あと、いい意味で期待と違ったのは、ヒトラー自身の12日間というよりも、彼を取り巻く側近たち、つまりナチスという組織の、終末に向けた12日間という内容だったこと。さっさと見切って逃げ出す者、断固ヒトラーと行動を共にする者、どちらにもつけず惑う者、嘆き絶望して現実逃避に走る者…。

組織が崩壊する要因って、外的要因よりも、内的な部分に多いですよね。特にヒトラーのように、カリスマ的人物による独裁組織だと、その求心力がなくなったとたん、組織力はガクンと落ちていく。本作のような内部紛争は、程度の差を除いて極論すれば、どんな組織の最期にも当てはまる構図かと。

ちなみに、パンフレットによれば、原題の「Der Untergang」は、「没落・破滅」の意。


【以下ネタバレ】





当時、ナチ信奉者だった秘書の視点で話が進むので、どうしてもヒトラーが「いいひと」に見えてしまいました。女性に気を使ったり、飼い犬を殺す時の悲しげな様子、背中を丸めて歩く姿からは、ユダヤ人虐殺の片鱗も感じられず。

総統としての独裁者的な部分は多少うかがえますが、それもこの絶望的な状況では、なんだか滑稽に見えますし、恐ろしさはまるでなくて、とても人間的。たぶん、このあたりの演出が物議を醸しているのでしょう。(もしかすると確信犯かもしれませんが)

しかしまぁ、ラストの秘書のセリフで、うまくまとめたなぁと舌を巻きました。
「若さはいいわけにはならない。ちゃんと目を見開いていれば、気付けたはずだった」

正論ですけど、あんな時代の渦中にいれば、見えるものも見えなくなるのでは…。
「人間は目に見えるものであればなんでも認識するのではない。自分に都合のいいものしか見ようとしない」と言ったのは、カエサルでしたっけ。


地下要塞と地上の市街戦の、絶望の対比もうまいと感じました。
地下ではあきらめムードが濃くて、酒びたりな将校たちの、退廃的な「絶望」。地上では、市民兵の愛国心でなんとか戦線が保てているものの、痛々しいほどのやられようで、地獄絵図のような「絶望」。


俳優では、愛人エヴァよりも、ヒトラーに心酔しきっているゲッベルス夫人が光ってました。我が子を次々と殺していくシーン…音もなく涙もないのが、かえってリアリティを増していて。
「非ナチ社会で子供を育てたくない」
その心理はまったく理解できないのだけれど、でも彼女にとってはナチ社会こそが、自分の根幹だったのでしょうか。

「狂気は個人においては珍しいことだが、集団や党派や民族や時代においてはよくあることである」(ニーチェ『善悪の彼岸』より)
まさにナチス・ドイツはこの一言に集約されますね…あ、日本もか…。
by chatelaine | 2005-07-10 23:15 | CINEMA

欧州大好き、映画や舞台の偏向的レビューブログ。子連れになってリスタート。最近はもっぱら子連れ旅がメイン。


by yukiko
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