『カッコーの巣の上で』レビュー/正気と狂気のあいだ

どうやら私、先日の『バットマン』でニコルソンモードに入ってしまったようです。

今日は大学で時間が空いたので、AVルームで、『カッコーの巣の上で』を観ました。言わずと知れたアカデミー賞総なめ作品で、ジャック・ニコルソンも本作でオスカーをとってますが、75年作ということは、もう30年前なんですね。


『バットマン』ではあからさまに気違いじみた、道化的な敵役でしたが、本作では、正気なのか狂気なのかわからない、見方によってどちらとも取れる、ちょうどライン上を歩いているような役でした。何ヶ所か、狂気の方に均衡がブレるシーンがあって、ニコルソンの表情がスッと凶悪に変わるんですけど、もう…背筋にゾワッときます。

ニコルソンが演じるのは、精神異常を装っているのではと疑われ、病院に入院させられる服役囚マクマーフィ。彼は精神病院の管理体制に反発し、いろいろと事件を引き起こしていきます。そしてその姿は、すべてに無気力だった患者たちに、影響を与えていく…。

病院の管理体制は、私はそこまで厳しいとは思えなかったけれど、それでも婦長はあくまで「患者」としてしか見ていないんですね、応対はとても丁寧な口調なんですが。逆にマクマーフィは粗野で乱暴な口の利き方だけれども、彼らを個人として、意思ある人間として、対話をしていて。

どちらが正常なのか?
観ているうちに、無表情で笑み一つない看護側のほうが異常な気がしてきます。(もちろん、看護側にも言い分はあるだろうし、婦長が絶対悪ではないのですが…にしても、ラストはひどい。あれでは治療じゃなくて脅しです)

全体的に地味な作品ですが、鬱々とした展開ではなく、スカッとするシーンもいくつか用意されています。例えば、テレビを禁止されてもめげずに野球観戦「ごっこ」をしたり、仲間で脱走して釣りに行ったり(巣から飛び立つ鳥のイメージ?)、あとは…フルーツガムのシーンとか。


思うにマクマーフィは、患者たちに「意思」を持たせたかったのでしょう。彼が来る前は、集団セラピーでも誰も発言しようとしなかったのが、彼が人間らしい生活を「努力して」もぎとろうと奮闘するのを見て、徐々に自分たちの意見を出すようになってくる。

しかし実は、患者仲間の多くは、マクマーフィのように強制入院ではなく、自分の意思で病院にいることがわかるんですね。

「自由になろう」と脱出を持ちかけるマクマーフィに、「おれにはできない」と言って拒む仲間。
自由を望めば手に入るのに、やはりどこか管理されていないと不安なのか。その気持ちは私にも理解できて、だって完全な自由はとても孤独なものだと思うから。


そして訪れる悲劇的なラスト。患者たちに人間らしさを教えたマクマーフィ自身が、人間らしさを奪われてしまう皮肉。かつて廃人のフリをして笑いを誘った彼が、本当に廃人になってしまうなんて。しばし呆然としたけれど、確かに彼は、彼の想いを受け継いだ友人によって、「自由」になったんだなぁと、そうとらえました。

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「Cuckoo's Nest」とは、精神病院のことを指す。
またカッコーは、ほかの鳥の巣に卵を生み、ヒナを育ててもらう習性の鳥。
つまり、カッコーの巣というものは、現実には存在しない。
…はてさて、どういうことなのか。
by chatelaine | 2005-06-14 23:54 | シネマ

◆◆管理人:yukiko ◆◆欧州大好き、映画や舞台の偏向的レビューブログ。子連れになってリスタート。最近はもっぱら子連れ旅がメイン。


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