『ミリオンダラー・ベイビー』レビュー

今日は友人と、『ミリオンダラー・ベイビー』を観にいきました。アカデミー作品賞ものだからか、単に映画の日で安いからかはわかりませんが、昼間なのにかなり込み合っていました。

まずはじめに、私、勘違いをしていたみたいなんですけど、この映画は主演ヒラリー・スワンクのサクセスストーリーだと思ってたんですね。女性ボクサーのマギーが、苦境を乗り越えてタイトルを手にして、やったね!よかったね!で終わる…いわゆるスポコン系の話だと。

…全然違います!これ、思いっきり悲劇です。で、まぎれもない傑作です。まぁ、考えてみれば、あのイーストウッドが、単なるスポコン映画を撮るわけないですね(笑)


【というわけで今日は、最初からネタバレ必至】



この映画、ボクシングシーンがメインというわけではなくて、イーストウッドが撮りたかったテーマはむしろ、ボクシング(≒生きる意味)を失ってからの、二人の救済ではないでしょうか?救いを求める対象として、宗教と家族が持ち出されていますが、二人にとっては、それらはとても遠い存在で…いっそう悲劇色を濃くするように思いました。


マギーにとって、ボクシングは自分が生きている証。トレーナーのフランキーにとっても、彼女を育て、支えることが、徐々に生きがいとなっていく。まるで親子のような愛情を深める二人。これが前半で、ここのスワンクは、本当にいい顔してます。

しかし、それは対戦相手「青い熊」の一撃で破綻してしまう。

生きる意味を失ったマギーが、耐えて耐えて、ついに言ったセリフ。「パパが犬にしたように、私にもそうして。(=私を殺して)」

それを、フランキーに言うか!そりゃ彼女は、彼にしか頼めないのはわかってるんですけど。でも、あまりにも酷で、言う方も言われる方も。フランキーは、自分が育てたボクサーを、自分の目の前(リング上)でも失い、さらには「殺してくれ」と頼まれるわけですから。もう、彼の表情が、みていられないほど哀しくて…。

そしてフランキーは、通いなれた教会の神父に、心の葛藤を告げます。
フランキー:「彼女は死にたがっている。そして私は彼女を守りたい」
神父:「すべては神の慈悲のもとに……云々(忘れた)」
フランキー:「彼女は神には救いを求めていない!私に求めているんだ」

ラスト近くで、リングネーム「モ・クシュラ」の意味を教える瞬間、マギーと一緒に泣きました。哀しいのか嬉しいのか、自分でもよくわからないまま…。


また、冒頭からラストまで、一貫した口調でナレーションをするモーガン・フリーマンが、利いてましたね!この悲劇すべてを俯瞰し、ラストで暗闇の中からじっと病室をのぞくシーンは、鳥肌モノです。ジムの中で、顔の半分が影になっているカットが多くあったのも、まるでフランキーの心の陰影を表しているかのようで、印象的でした。


アメリカでは、ラストについて、物議を醸しているようです。が、私はこのラストで納得!彼らは、自分たちのイニスフリーを見つけたのだととらえました。



*********************************

僕は立ち上がり、今、行く。イニスフリーへと行こう。
そこで、泥を固めて枝を編んだ、小さな小屋を建てるんだ。
畑には豆を九列植えて、みつばちの巣箱も作ろう。
蜂の羽音だけがブンブン響くような森の中の空き地に、
僕は一人で住むんだ。

イェイツ『湖の島、イニスフリー』より
by chatelaine | 2005-06-01 23:29 | CINEMA

◆◆管理人:yukiko ◆◆欧州大好き、映画や舞台の偏向的レビューブログ。子連れになってリスタート。最近はもっぱら子連れ旅がメイン。


by yukiko