ルーヴル美術館/『ダ・ヴィンチ・コード』公開によせて

ルーヴル美術館は、もうずっと、私のなかでは特別な存在だった。まだフランスに足を踏み入れたことのないころから憧れていたこともあったし、迷宮と噂されることに、なにか秘密めいた雰囲気を感じ取っていたせいもある。

あまのじゃくな私は、今となっては小さな美術館の方に魅力を感じるようになってしまったけれど、はじめてルーヴル美術館の前に降り立ったときには、ひとりだったにもかかわらず、歓声を上げたほどだった。
ついに、パリへ来たんだ、という実感。あの感情は、いまでもとてもあざやかに残っている。
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ルーヴルの三大人気美術品は、「モナ・リザ」「ミロのヴィーナス」「サモトラケのニケ」だそう。3つともフランス産ではないのが皮肉といえば皮肉だけれど、フランス人の審美眼は確かだった、ということだろうか。

この3つの作品に共通することは、なにかしらの謎めかしい部分があるということ。
「モナ・リザ」に関しては、いままさに旬な素材だから割愛して、「ミロのヴィーナス」と「ニケ」には、両方ともに欠落部分がある。
「モナ・リザ」も、ダ・ヴィンチが死ぬまで筆を入れつづけたらしいので、いわば未完といってもいいかもしれない。
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そういう意味では、3つとも、「未完」であり「不完全」な作品。だからこそ、人を惹きつけるのかもしれないし、実際私はその不完全な美に魅せられてきた。

失われた部分に対し、人間は想像力をはたらかせ、ロマンティシズムを感じる…。言ってしまえば妄想なわけだけど。(妄想と呼ばせないために、研究者たちは、科学的根拠をひねり出してくるのではと私は思っている…)

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これらのミステリアスな部分と、ちょっと知的なエンタメ性と、強力なプロモーションで、巷の話題をさらったのが、『ダ・ヴィンチ・コード』なのではないか。
小説を読んだときも、アメリカナイズされているなぁと感じたけれど、映画版はさらにアメリカンな感じなのかもしれない。

そこに、仮想のルーヴルの持つひそやかさだとか、秘密は秘密のままでいようとする精神性だとか、『薔薇の名前』のようなかたくなな宗教性は、感じられない。
あくまでもエンタテインメントで、おカネのにおいのする、文化。(それが良いとか悪いとかではなくて)

いまから思えば、私が小説を読んだときに感じた軽い落胆の正体は、現実のルーヴルが一大観光地であることを目の当たりにしたときの、軽い挫折感に似ていたかもしれない。
by chatelaine | 2006-05-20 23:25

◆◆管理人:yukiko ◆◆欧州大好き、映画や舞台の偏向的レビューブログ。子連れになってリスタート。最近はもっぱら子連れ旅がメイン。


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