須賀敦子のことばたち

社会人となり、会議やらミーティングやらに参加するようになって、新しく耳にすることばが、格段に増えた。
それらは、ひとくくりにいってしまえば、ビジネス用語、となるのだろうか。これまで日常生活では使わなかったような単語が、ごく自然に使われる。

最小の労力で最大の効果をあげるための、論理的で、効率的で、簡潔で、無駄のない、会話。
そういう空間が、殺伐というほどではないにしても、結論の出ないような話題ばかりを題材にし、考え、論じ、ぬるま湯的な感性の世界で生きてきた私にとっては、ときには冷たく感じられたりもする。

それでも、耳から聞いた新しい種類のことばたちが、少しずつ自分の中で根を下ろし、無意識のうちに自分の口からぽろりと出てきた瞬間、ああ、私も少しだけ社会人らしくなったのかな、と我にかえって思う。
それが私にとってほんとうにいいことなのかは、まだわからないけれど。


金曜日の夜、仕事からお休みモードへと頭が切り替わっていく流れのなかで、あたたかいことばに触れたい、と泣き出しそうなくらい強く、思う瞬間がある。

じゃあ、いったいだれのことばに触れる?
自問自答して、いきつくところは毎週、須賀敦子だった。

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【須賀敦子作品レビュー/全集収録順】

「世にも不思議としか言いようのない虚構の賑わいと、それとうらはらな没落の憂鬱にみちたこの島は、夫が生きていたころ、きっといつか僕が連れて行くと約束した場所のひとつだったが、彼は、他の多くの約束とおなじように、どれも果たせないまま死んでしまった」
『ミラノ 霧の風景』(全集第1巻)

「若い日に思い描いたコルシア・デイ・セルヴィ書店を徐々に失うことによって、私たちは少しずつ、孤独が、かつて私たちを恐れさせたような荒野ではないことを知ったように思う」
―『コルシア書店の仲間たち』(全集第1巻)

「オリエント・エクスプレス。なんという夢にあふれた名だろう…父はこの列車の名を、彼だけが神様にその在りかを教えてもらった宝物のように、大切に発音した」
『ヴェネツィアの宿』(全集第2巻)

「重い山仕事を終えて、ほっとしたときみたいに、グロブレクナー氏は、ちょっと一服、という感じで、だれにもほんとうの気持なんかいわずに、ひっそりと逝ったのだった」
―『トリエステの坂道』(全集第2巻)

「きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ。そう心のどこかで思いつづけ、完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、私はこれまで生きてきたような気がする」
『ユルスナールの靴』(全集第3巻)
by chatelaine | 2006-05-19 23:42 | BOOK

◆◆管理人:yukiko ◆◆欧州大好き、映画や舞台の偏向的レビューブログ。子連れになってリスタート。最近はもっぱら子連れ旅がメイン。


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