音楽がきこえない女についての精神分析

「音楽」と聞いて、なにを想像するか…もちろん人それぞれだけれども、私はそれが小説のタイトルの場合、清らかさとか美しさとかいったものを連想する。
では、三島の手にかかると、「音楽」とは何の比喩になってしまうのか…。


三島由紀夫『音楽』新潮文庫 読了

一ページ読むとすぐに気付くが、本作はいつもの三島の文体よりも易しく、うならされるようなレトリックも少ない。もしかすると、著者名を伏せて本作を読んだ場合、三島作品だとわからないかもしれない。そのぐらい、常なる巧緻な美文とは一線を画した様相を呈している。異色作といってしまってもいいだろう。

内容の方はというと、「精神分析における女性の冷感症の一症例」という副題が表すとおり、心理分析・精神医学の世界が舞台ではあるが、屈折した愛情を描いている点ではいつもの三島で、いやむしろ、近親相姦、冷感症、不能、倒錯愛と、いつも以上に三島らしさがてんこ盛りな印象も受ける。


精神分析医・汐見のもとに、冷感症を治すために訪れた、美貌の患者・麗子。
「先生、どうしてなんでしょう。私、音楽がきこえないんです」
あ、そういう意味なのね…すんばらしく文学的な比喩!

そして、治療カウンセリングのなかで、麗子の性遍歴とともに、冷感症の原因が明らかになってくる。なんとなく、麗子になにがあったのか、というミステリー仕立ての感覚だ。


中盤で、瀕死の婚約者を看病しながら、麗子ははじめて音楽をきく。

「そのときです、先生、どうしたことでしょう。突然、私は『音楽』をきいたのです。私の体の中に、あれほど憧れていた音楽を。音楽はすぐには絶えず、泉のように溢れて、私の乾き果てた内面を潤しました。耳ではありません、私の体で……、先生、こんな信じられないことがあるのでしょうか、……私の体で、私はえもいわれぬ幸福感を以って、あの『音楽』をきいたのです」

「ねえ、先生、このままで行くと、私はきっと、あんな異常な状況、死んでゆく病人を看取るという状況でしか『音楽』をきくことのできない女になって行きそうなんです。ですから、私、自分のために、人を滅ぼして行きそうな気がするんです」

これでは、「男を滅ぼす女=ファム・ファタル」としての麗子をイメージするが、このときの彼女は、まるで聖母のような描写をされている。はたから見れば、彼女は献身的で悲劇的な婚約者にしか見えないのである。
聖と性って、不思議と表裏一体なのね…。


ところで、本作の解説は澁澤龍彦で、三島×澁澤の私的黄金コンビなわけだが、いかんせん、表記が「渋沢」では雰囲気が出ない。なんでここで新字にしちゃうかなぁ…。澁澤は「澁澤」じゃないと、デモーニッシュな感じが出ないじゃないよ。

まさか、本文の平易な文体にあわせて、こちらも簡略な「渋沢」にしたとか言うんじゃあるまいね?だとしたら余計なお世話…。
by chatelaine | 2006-02-07 23:15 | BOOK

◆◆管理人:yukiko ◆◆欧州大好き、映画や舞台の偏向的レビューブログ。子連れになってリスタート。最近はもっぱら子連れ旅がメイン。


by yukiko