『イノセント・ボイス ~12歳の戦場』レビュー

たまに、ドキュメンタリー番組などで見かける、銃を両手で抱えた子どもの兵士。その小さな身体に似つかわしくない、大きな冷たい銃を提げ、カメラを見つめる眼差しは、子どもらしさがうかがえない硬い表情だ。

そのたびに、なぜこんな小さな子どもが…と思うけれど、その感情はテレビを消すのと同時に消え、日常に戻っていく私がいる。

が、映画館という、一種の非日常の空間で同じ題材を観てみると、劇場を出て終わり、では済まされないような、なにか消化しきれなかった感情が残っていることに気付く。この感情を自分なりに整理し、咀嚼し、なにかしら思考することを余儀なくされる…『イノセント・ボイス ~12歳の戦場』は、そういう映画だと思う。


本作は、本来は守られてしかるべき存在である子どもが、12歳になると有無を言わさず兵士として召集され、内戦にかりだされるというエルサルバドルの状況を、もうすぐ12歳の誕生日を迎える少年の目線で描いた作品だ。

主人公・チャバ(カルロス・パディジャ)のいる町は、政府軍とゲリラとのあいだで、連夜のように銃撃戦が行なわている。そんな毎日でも、チャバたちは、観ているこちらがハラハラするほど活発に遊びまわり、ときには危なっかしささえ感じるほどだ。

そう、子どもたちは、たとえ内戦中でも外で仲間と遊びたいものだし、勉強も、恋だってする。彼らは実際、よく笑う。
けれども、彼らが楽しそうに笑う姿をみればみるほど、逆に私のこころには、不安やかなしみがよぎった。それは、彼らの笑顔が、12歳の現実と戦況の悪化を前にしては、あまりにも無力だと感じたからかもしれない。


【以下ネタバレあり】







結果としてチャバは生きのびるが、それは彼が主人公だから助かったわけではない。助かったから、この物語の主人公たりえたのだ。もし川原に並んだ順番が逆だったならば、この物語の語り手はとなりの子どもに変わっていただろう。


本来ならば、夢だけを見ていればいい子ども時代に、チャバは、戦場と、多くの近しい人の死と、家の燃える光景と、さらには自分自身の死を覚悟する瞬間とも対峙している。

とりわけ、死体だらけの川原、政府軍による銃殺と、それに続く、自分の背丈と同じくらいの銃をふらふらとかかえ、撃つか撃つまいか選択を迫られるシーンは、私自身もう直視できない、目をつぶってしまおうか、と思うほど痛々しかった。

そして、この残酷な、けれどもまぎれもない現実を目の当たりにして、焼け落ちる家を前に、チャバは妙に悟ったような表情を見せる。
「もはや祈るだけでは駄目です」
もしかすると、神父のこの言葉を思い出していたのかもしれない。

そうしてチャバは、再会した母親に泣きつくでもなく、ただ、「行こう」と母親を立たせる。このあたり、もうすでにチャバは大人のふるまいである。
その瞳に涙はなかったけれど、涙にすらならないかなしみがつまっているように思えた。
by chatelaine | 2006-02-02 23:54 | CINEMA

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